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5・15事件(一海軍士官の青春) 20

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 7月 1日(木)14時10分47秒
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  5・15事件(一海軍士官の青春)  林正義 著


    第3章  東京軍法会議

   4 大道即一身 -後編-

 八月二十三日。この日は十被告最後の人、最年長者の塚野道雄君の陳述である。野村吉三郎横須賀鎮守府長官、東京湾要塞司令官、木内、岸木両検事の特別傍聴者の顔が見える。塚野君はロンドン条約に憤慨して吉田松蔭の名で檄文を出した男とは思えぬ程物静かな調子で、両親、妹、妻並びに二児あることや経歴を述べた後、相被告らとの関係に及び、

 塚野「昭和五年五月末ロンドン軍縮会議について私は書田松蔭の名で檄文を印刷、海軍部内の士官に配布し、謹慎二十日に処せられましたが、呉鎮守附となってから檄文の張本人が私であると知って毛利福太郎、永田英雄の両名が藤井斎と文通をするよう橋渡しをし、同年七月病気で帰国の当時藤井が一回訪ねてくれたが、今では顔も覚えていない。古賀は予審廷で、中村は公判廷で初対面をした。伊東亀城には会って見たくなり、佐世保で会い、彼から独持の戦術を聞いてコイツは一番過激派だと思いました」

 と傍聴席を笑わせる。高法務官は日蓮主義と国家革新運動との関係について訊問を進むれば、同君は急に熱をおび、

 塚野「人類の救済衆生済度を徹底させ、現世に絶対平和郷を実現させるにはどうしても世界の単位たる国家そのものについてブッツかって行かねばならぬ。世を安じ国を安んずるを以て忠となし孝となす。世界の絶対平和を念願するのが真の忠孝で、日本を正義とし霊化し、しかして現世界人類を救済するのが日本の大使命であります」

 と日蓮主義と日本の使命とを論じ、次いでロンドン条約当時の檄文問題に入るやいよいよ熱烈となり、当時呉鎮守府長官谷口尚真大将が朝鮮で財部全権に会った問題につき、

 塚野「私が呉海兵団で檄文の配布を終った翌日の、昭和五年五月二十日、谷口大将は士官を集められ──自分は財部全権と会ったが大将も深くロンドン条約について心配して居られた、吾々はロンドン条約問題では極力黙って居らねばならぬといわれた。谷口大将も間もなく予備役になられると聞きそのくらいが適当だろうと思っていたが、突然加藤寛治大将の跡を襲って軍令部長になられたので私は不審を抱き、海軍には毒が流れていることを感知しました。殊に時の朝鮮総督府斎藤実氏は、海軍には何ら責任のない地位であるに拘わらず、ロンドン条約の諸訓案について真先に堂々反駁の意見を新聞に発表されたことなどは怪しからぬことで、財部、斉藤、谷口はいかなる相談をしたか知らぬかが、政党の戦術の巧妙を極めているのに感歎しました」

 と述べ、五・一五事件のため斉藤実氏が大命を拝受する第一着にこれを訪問したのは財部大将だったことや、斉藤、民政党、三菱、海軍、財部等の関係を述べ、
 塚野「これを以てしてもロンドン条約のいかなるものであったかが判るのであります」

 と、感極って声を震わして泣き、ハンカチを出して涙をぬぐいながら述べ立てる。

 塚野「そもそもロンドン会議の軍令部案というものは、吾が最低要求であったはずであります。米国と戦うに戦闘艦が何隻、潜水艦何隻要るかは、断じて吾々の独壇場で、それを戦争のことを何もしらぬ幣原にしてやられてしまった。洋服屋が某将官のことろへ往って談たまたまロンドン条約のことに及んだところ、某将官は──こんな時に余計な口を出すもんじゃないよ、へらず口をたたけば首をチョンぎられる、長いものには巻かれろじゃ──といわれたと私はこの洋服屋に聞いた。翌日堪らなくなって檄文を起草した。士官名簿により宮様と元帥を除いた大将から中佐級まで一千通宛名を書き、郵送しました。
 と涙で鼻をつまらせながら述べ、十時十五分休憩。

 少憩の後再開。

 塚野「私はテロと国家革新運動との関係がどうしてもわからず、当公判廷の各被告の陳述ではじめて判りました。それに私は慎重な研究癖があるので、電報一本では命を捨てることは断じて出来ません。林にはほれ込んでいたが、テロで林と心中するのはいやだという気持で、後で運動に参加するかも知れぬが、やるなら最後まで責任を持って建設までやらねば嘘だと思っていました」

 と不参加の心境を明らかにし、高法務官は予審調書を読み──家族が餓死するから決行には参加せぬ──と林に語ったことを尋ねると、その家庭事情が不参加の要素であったと認めたが、結局──国家革新の精神においては同志だったのです──と本件における自己の消極的な立場を明らかにし、そのピストル調達や武器保管のことを述べ、五月二日林から決行のことを聞いた時──他人ごとのように思った──と当時の心境を述壊。

 高法務官「予審では誘われれば行くくらいの気持だったと述べているが」

 塚野「予審官としては無理のないことで、こう言わせようとして苦心され、私は参加するということは誰にも絶対にいった覚えがないと頑張ったが田中智学師の──便所は分別所──といった言葉に随って便所に入り考え直して、まあその辺のところでしょうと述べて置いたのです」

 と予審の陳述が真意でなかったという。正午休憩。

 午後再開。手榴弾を林から依頼されて隠し、東京輸送の手伝いと岩垂君を林に紹介したことなど、事実調べが終って高須裁判長の問に、
 塚野「日本壮丁の八割を占める農民の土台をしっかり固めなければならぬ。この土台の上に新らしい建築をしなければならぬと思う。私自身百姓となり、農業を体験して国家のために尽したいと思っています」

 と帰農の決意を述べ、補充訊問に入ったが、当法廷に於ける陳述は塚野君を有罪か無罪にするかの分岐点となるため山本検察官はかなり細かく突き込み、清瀬弁護士も助け舟に出て、検察官と交々論議する。清瀬弁護士は高法務官に向い、

 清瀬「古賀から林に来た手紙では、塚野を決行の第三組に入れてあったことは塚野のために重要なことであるから明らかにして置きたい。お調べは大体縦に行われて横に調べられていないから、この点林、古賀、村山、大庭、黒岩の各被告についてお確め願いたい」

 と裁判官に抗弁すれば、裁判官より以上の各被告に問い質され、それぞれ起って、塚野君は結局実行部隊のメンバーでなかった事実を明言する。

 高法務官「これで全被告の訊問を終ったが、古賀に二、三訊くことがある」

 とて、大川周明博士から受取った軍資金の使途をいちいち確めた後、

 高「被告は獄中でざん悔録とも見るべきかなり大部の手記をなしているが、今の心境はこの手記──この手記は今春の議会に海相が報告として一部を議会で朗読したものである──そのままかと問い質し、

 古賀「事件後の六月半ば頃までは大川、陸軍青年将校、長野朗の農民請願運動等の連中が続いて改造運動断行をやると思っていたが、そのうちに私の牧野内府射ちもらしが四面楚歌となり、また西田税暗殺を頼んだ川崎長光がいやだいやだといってやったと聞いて、私は非常な精神的の打撃を受けた。かくて七年の末私は反動的心境になり、過去の行為は総て誤りである、悪である、その立場から認めたものがすなわちこの感想録であります。今日から考えてこの中には其のものもあり、反動的のものもあるが、本年四月頃(昭和八年)よりそうした国家革新運動の如き根本問題は、宇宙の実存や人世の本質等哲学的根拠から出発せねばならぬと考え、いろいろ考えて見たが結局何が何やら判らなくなり、不可解な懐疑の暗黒に入ってしまい、現在においては然りであります」

 と魂の煩悶を正直に訴える。高法務官は古賀君の確固たる哲学的基礎なくして国家改造に乗り出したことを悔いる意味のざん悔録を読みあげ、これを質せば、古賀君は黙々としてこれを認め、最後に古賀君は海軍に対する所見は文書にして提出するが、あいまいな点を補足したいと、大川周明氏は特権階級と提携して幕末の公武合体を意図していたと断じ、橘孝三郎は古賀が兵農一致を説いて勧誘したのに感激して参加したものであり、橘の満洲行は再挙を計るというよりも満洲の農民に帰化し、満洲国の農村建設につくす積りであったので賛成したのだと新事実を明らかにし、また陸軍士官候補生を加盟させたのは、とにかく陸軍の軍服を着た者を入れて陸軍の改造断行を誘致し、陸海共同責任をもって提携する意味であると述べ、

 古賀「牧野内府を殺さなかった根本的の原因は、私に計画者としての力量足らず、私は艦長としての役目は勤まるが、司令官の器でなかったので、計画の粗雑、連絡の不充分、心境の不安等のためであります。また警視庁前の決戦というのは、あの附近ならば恐れ多いことながら宮城に近いので、戒厳令誘致に効果的であり、また一般民衆に被害を及ぼすのが少いと考えたからであります」

 と補足して、計画者としての最後の陳述を終った。

 いったん休憩。午後三時半再開。浅水特別弁護人起って、さきに述べた古賀君の手記に対する感想は現在の感想か否かと問えば、古賀「先程あの手記を認めたのは、大慈大悲の立場からはかく感ずるという意味で、かかる心境を通って来たことを認めたものである。私という人間が大慈大悲の価値あるものではない。人間として現在の私の考えは違っているところもある。現実の向上の点などそれであり、吾過てり、過てりの一段は、反動のもっとも甚しいもので、現在の私の心境は当公判廷でかつて申し上げたのが本当であります」

 かくていよいよ証人申請に入り、元ドイツ大使本多熊太郎、予備役海軍少将南郷次郎、海軍大将山梨勝之進、海軍少佐浜田祐生、同中尉山本利夫、血盟団井上日召を証人として、草刈少佐の遺書を証拠書類として申請せるも、結局全部却下この日はこれで終了。

 監房に帰れば故郷の父より来信、病気している由。翌八月二十四日父に手紙を書き、見舞金として十円送金する。二十五、二十六、二十七日公判休廷。これ幸いとばかり毎日習字をやる。二十七日係弁護士林逸郎氏面会に来るも別に何ということもなく、雑談十数分にして別れる。
 
 
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