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5・15事件(一海軍士官の青春) 14

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 8日(火)08時50分11秒
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  5・15事件(一海軍士官の青春)  林正義 著

   第2章  獄中生活


      6.頭山翁

 五月十四日、志波少佐級友大上君が弁護士を引張って来た。自分が弁護士不必要と先に言ったためである。他の仲間は全部承知したので、君も弁護士を承知しろ、裁判は弁護士なくては成立しないし、また君一人弁護士不必要だといって別にすることは出来ないと強引に説得する。裁判というものはそんなものかとはじめて知り、あまり人に気をもましても悪く、気乗りせぬまま承知したが、必要ない気持には変化ない。ただ世話してくれる人達が気が済めばよいくらいの程度である。

 五月十七日、田崎、古賀(忠一)、鈴木、村上、沢田君ら出獄する(後で聞けば不起訴)。別に自分も出獄したいという気持も起らぬ。

 翌日獄中で作った詩の添削を郷里の先生に頼んでおいたのが返って来た。詩としての正式の形式に当てはめれば全部がこわれ、仕方なく意志発表として作者の意をこわさぬ程度の添削である。批評は概して賞めてあり、自分を志士として遇してあるのには恥かしい思いである。五人が出獄したお蔭で自分は今まで罰として一番小さい監房にいたが、許されて田崎君がいた房に転房になる。この室は広い。狭いところよりやはり広いのが気持よい。読書のためか視力が非常に弱くなっているので、検査してもらえば○・四である。眼鏡をすすめられて購入することにした。兵学校二年の時にはじめて乱視ということが判明し、それでも眼鏡をかけなくてもさはど不自由を感じなかったが、今度はどうしても眼鏡の厄介にならねばならぬことになってしまった。

 浦部君から手紙が来た。楽天命以尽忠誠は大賛成であり、先に藤田東湖の「正気の歌」を書いて送ったら涙を流して喜んだと書いてある。その他級友に特に世話になった者には「正気の歌」を書いて送る。

 郷里の父よりは、先に都々逸を書いて送ってから当分の間は手紙が来ず、あれで父もよく了解してくれたものと思い喜んでいたが、五月三十一日手紙が来た。それによると、吾々の事件が名前入りで発表になり、世人があまりよくいわぬとまた心配している。気の小さい苦労性の父にかかってはかなわん、今少し解ってくれたら、と愚痴が出て、父が厭になる。次弟忠義よりは朝鮮の出稼ぎ先から二十円送ってくれと無心をいって来る。看守に聞けば有金全部で二十円しかない。やむを得ず財布をはたいて送金する。これで今月の支払いも出来そうにない。翌日級友が来て十円と壜詰の海苔、ラッキョを差入れて行く。お蔭で眼鏡の支払いも出来る。財布をはたき出してしまったかと思うとまた入って来る。金というものは天下の廻り持ちとよくいったものだ。自分のものというものは本来何ものもない、本来何ものもないものを自分のものと思うところに間違いの根本源因がある。世の中はよく出来たものである。持ちつ持たれつ。しかしこの通りに全部が行けば極楽であろうが、その通りに行かぬところにいろいろと社会問題が起って来る。今自分の周囲は実に麗わしい。これも級友その他が吾々に同情しているからであり、人心離反すれば決してそううまく行くものではない。

 習字の稽古を始めてより今日まで画仙紙だけに書いたのが約四百枚くらいである。大津看守の話では、千枚くらい画仙紙に書かねば線も生きて来ず、紙にピタリと乗らない(調和が取れぬ)、という。今日この頃は主として毎日字書きで過す。一日に多い時は画仙紙に三、四十杖も書くことがある。紙屑製造で看守はやり場に困り、缶室に持って行って燃しているそうである。筆、墨、紙は殆んど級友の差入れ、その外本も振替用紙を沢山もらって、注文先に今度は誰に無心するかと決めて、その級友の名前で注文する。割当である。割当てられた級友は迷惑至極であろうが、そう迷惑とも思わず喜んで必ず金を払ってくれる。ありがたいものである。振替用紙使用の方法はいつの問にか仲間の囚人達が真似をしだした。頭山翁の書も羨しがって皆んな人を通じてお餅いして全部頂戴した。どうも悪智慧は自分が一番先に出すようである。林の奴は横着者だという。

 看守には仲間連中は時々無理をいって困らしていたが、一日看守長が自分の監房に来て、三〇番は少しも無理をいわずよくいうことを聞いてくれるから助かります、なかなか肝が出来ていると感心していた。あまりわがままはいわなかったが、適当にはやっていた。注意をされるとただそうですかと聞くだけである。某人は何か看守に対して癪にさわったとみえて、イキナリ看守をブンナグったことがある。看守なんかに文句をいっても始まらんと自分は思っていたに過ぎない。基本的には随所に主となる、どんな苦しい厭な環境にもその境の主人公となると心掛けていたことは確かである。

 六月十八日、犬上、浅水両級友、弁護士を同道来所し、面会をした。その弁護士は同姓の林逸郎氏である。浅水君が特別弁護人になるそうである。自分としてはもともと弁護士の必要を感じないし、特に級友に弁護に立ってもらう必要はさらにない。しかし事件仲間の他の級友も承知したそうであり、親切を無にするのもなんとやらというのが自分の偽らざる心境である。翌日、浅水君に手紙を書いた。弁護人になって頭を使う必要はない、法廷で一席やるなら「天の聖断に任す」と一言いって、他は何もいう必要はないと書き送る。

 毎日字書きで忙がしい。あらゆる法帖を手に入れ、ウルシマケの文鎮、翰墨談等、筆墨も支那におる仲間に注文、鳩居堂、清雅堂、博文堂等に仲間に無心して注文、贅沢の限りである。書道研究をしている大津看守が羨しがって、道具は一流の大家ですよと冷かす。紫檀の文鎮をつや出しのため鼻にこすり、翌日からカブレた。子供の頃よくハゼの木にカブレたが、ちょうど同じで、ウルシマケはどんどん悪化して夜も熟睡が出来ない。鼻からは汁が出る。房外運動も出来ぬ。数日後看守が「サハカニ」を取って来て潰してその汁をつけるとよいというので顔に塗った。熱が取れて気持はよいが、バケモノだと看守は見とれる。七月初旬で汗は出るし気持は悪い。漸く一週間かかって治る。 七月十一日付を以て休職となる。これで本給は手取十数円足らず、毎月の本代、筆墨紙代には到底不足。級友よりは字の注文がある。下手なペンキ屋と同じく一枚出来るためには、同じ字を画仙紙に五十枚ないし七十牧書かねばならず、相当に骨が折れる。これはと思うのを壁に貼ってみると見られたものではない。また書く。終りにはくたびれ諦めて、その中で一番よいと思うのを送る。相当の労働である。

 一日浅水君が面会に来た時に、「吾々は死刑にならなければ何年間かは監獄生活をするだろうし、この際大いに勉強したいと思う。ついては買いたい本が沢山あるしクラス会で面倒みてくれないか」。

 浅水「いくらでも買えよ、クラスで支払うから」

 と気持よく引受けてくれた。監房に帰って今浅水君に相談したら本はいくらでも買えということだからドンドン買えよ、と一同に連絡した。それから皆は買いたい本を勝手に連合クラス会支払いで本屋にどしどし注文した。何日かして浅水君がやって来て面会してみれば顔色を変えて、本代が皆の分で四千円になっておる。そんなに沢山では困るからやめてくれとの申込みである。

 林「貴様は四千円以下にしろとはいわなかったぞ。イクラでも買えといったので、今からも注文する積りだ」

 浅水「クラス会には金はない」

 林「クラス会に金がないとはいわせないぞ。俺はクラス会幹事をやったが、各クラスに一万円はある。三クラスで三万円はある筈だ」

 浅水「あれは据置貯金になっていて当分出せない」

 林「それではクラスの各員から二十円宛拠金としても三クラスで五千円は出来る。今さら注文したものを引込めろといったってそれは一寸出来ないぞ」

 浅水「貴様のように無茶をいって困るよ」

 林「そうか。それでは貴様と話しても無駄だ。もう頼まん」

 と別れた。

 監房に帰ってことの次第を山岸君に話し、二人で相談をして出て来た結論が、頭山翁に二千円、当時駐満海軍部司令官であった小林省三郎少将に二千円無心してこの結末をつけようということになり、両氏宛手紙を出した。五、六日したら志波国彬少佐が面会に来て呼び出された。

 志波「昨日林逸郎弁護士が来て、君達が金を頭山翁に無心をしたそうだが、ちょうど翁のところには千円しかなくて夜中に林弁護士のところに使いが来、千円届けられ、林弁護士はワシのところに来た。吾々先輩も居り、クラスの者も居るのに、貧乏して居られる頭山翁に無心することは、吾々の顔をつぶすことになる。この金は頭山翁に返してもらいたいと思って君達の了解を得に来た」

 林「クラス会の浅水に交渉してカクカクシカジカの次第でやむを得ず頭山翁に無心しました」。志波「それでは金は返してよいか」

 林「頭山翁は貧乏して居られるかどうか知りませんが、私の知っている(未だ直接お目に懸ったことはなく、ただ本を通じて知っている)頭山という人は、自分の手から一度金が離れた時は、人にやったという意識をなくする人です。吾々もらったと思わねばよい、天から授かったと思えばよし。何のコダワルところはありません」

 志波「貴様みたように世の中は行くもんじゃない。とにかくこの金は返してもらいたい」

 林「教官がそんなにいわれるなら気の済むようになさったがよいでしょう」

 といって別れた。その後数日、再び志波少佐と面会した。
 志波「頭山翁に会ってあの金をお返ししたら、頭山翁は連中は俺と同じ気持だと思って俺のところにいって来たのだろうし、返すのかといわれ、いよいよ辞去する時もまた返すのかといわれた」

 内心自分はそれ見たことか、頭山翁は返すとは不服だということであると思った。しかし志波少佐にはそれとなく「そうでしたか」と返事をして別れた。房に帰りこのことを山岸君に話して、俺の思った通り、頭山翁は金を返したのは不服らしいぞ、今一度手紙を翁のところに出そうということになり、山岸君が手紙を書いて出したところ数日後翁より返信あり、「どうしたら君達のところに直接金が届くか」との要旨であるので、「直接差入れをして頂きます」と再び書き送り、遂に千円の金は手に入れた。小林省三郎少将からは返事なく、副官の佐々木高信少佐より手紙が来て、何か断りの文面であった。(このことは自分が出獄して小林少将に会って少将自身の真意が分った。副官の勝手な処置であった)。遂に千円で本代を始末して他は取消しになってしまった。

 七月十五日、入獄以来二度目の盂蘭盆、亡母の祥月命日に当り、ちようど今年は七回忌である。房内には霊前に供える花も線香もなく、やむ得ず昼間特に坐禅をして供養する。

 公判開始は旬日に迫り、方々より字の注文があり、果して十日間くらいで引受けた字が書き上るやら甚だ疑問である。一枚出来上るためには数十枚の紙屑製造をするし、向う鉢巻で頑張らねば出来上りそうにない。某日の如きは画箋紙に百五十枚も書いたことがある。連日字書きで追いかけられているくらいで、これでは楽しみにならず借金払いに苦労するようなものである。その代り一日は瞬く間に去り、床にある時間が惜しいくらいであるが、規則通りに寝に就かねばならぬ不自由さを感ずる。

 級友浅水君来所、吾々の特別弁護人となり横須賀鎮守府附になった由。青年士官としては艦隊訓練に精を出す時に、病気上りか何か懲罰的処置でもなければならぬ鎮守府附になって気の毒である。しかし本人も進んでやるというし、当局もそうさせるのであれば、気の済むようにさしておく外はない。

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