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5・15事件(一海軍士官の青春) 13

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 8日(火)08時09分9秒
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  5・15事件(一海軍士官の青春)  林正義 著

   第2章  獄中生活


      5.大西郷(後)

 二月十日、明日の紀元節を期して一週間の断食を行うべく、その準備のため今夕の食事をやめた。看守長来房し、絶食は刑務所では重大問題であるから、所長不在中先任者として電報で出張先の所長に報告し意見を聞かねばならぬし、迷惑をかけるからやめてくれとのことで、致し方なく思いとどまる。せめて獄中にある身としてなお一層人間としての修練を積みたいというために外ならぬ。飽食暖衣は決して心身を練らんとする者の執るべきことではない。級友に差入れしてもらい、国の厄介になっている自分としては、出来る最大限に不自由な目にあって心を練る外、今の自分としてはやることがない。
 十一目、建国以来二千五百九十三年、その間国の様相は幾変転、右にふれ左にふれ、あるいは早くあるいは遅く、あるいは乱れあるいは治り、流転し来りたるも、日本としての生命の流れは今日まで一貫して来た。上に一天万乗の大君を仰いで、この国の命は今吾々万民が受継いでいるはずである。

 有馬中佐に先に頭山満翁の書をお願いしておいたので返事が来た。書は人を介して翁に依頼したとのこと、その手紙に「君達は今度の事件の真相を級友後進に話して、彼らをして軍人の本分に邁進せしむる責任あり」と。軍人が共にその本分に邁進してもらえば結構至極である。政界財界各界然りである。いずれも本分本分というが、言葉だけではその通りであるが、その実一向に伴わないものが多いから、吾々が事件を起さざるを得なくなるのである。本分を自覚すれば自分の栄達権勢欲はなくなるはずであろう。

 三月五日、いろいろと吾々のことを心配し世話をしてくれている級友達が面会に来た。依頼をしておいた差入物を持って来てくれた。その時、公判のために弁護士の算段をしたからといっていたが、自分は弁護士の必要を感じない。去年の十一月頃までの心境であれば弁護士も必要であったが、一切を捨てた今日の自分にとってはその必要さらにない。凡ては天に任しているのだと答える。級友より敷布団まで差入れてくれた。ありがたいもので、入獄後初めて敷布団を敷いて寝た。温い。

 今日この頃の生活は習字の練習が主であり、看守は時折り見ては字が巧くなったと賞める。悪筆で有名だった自分が人に字が巧いと賞められたのは生れて初めてである。乞食の子も三年すれば三つになるというから、怠らず励めば字らしく書けるものだとつくづく思う。

 郷里の父からは一週間おきくらいに愚痴ばかりの悔んだ手紙が来る。他の同僚には家から差入れが来ている。自分は反対になけなしの金を時折父に送っている。まるで反対である。これが母であるならば自分の着ている着物でも売り払って差入くらいしてくれるだろう。いわんや愚痴をこぼす筈はない。激励をして「正、頑張れ。どんなに若しかろうと負けては駄目だ。正しい気持で押し通せ」といって来るに相違ない。神風連の血を享けた女であり、苦労に負けず死ぬまで丹前を着て寝たこともなく、なけなしの羽織を真冬の寒さにふるえている隣人に脱いでやり、笑って田植の日雇人夫になった慈母である。それに引換え、父は何だ。武士の血を享けながら、しかも男である。吾が父ながら情けない。速成都々逸を送る。

 一、金も命も名誉もすてて、賊の頭の西郷どん
 二、平野国臣、勤王志士も、親に背いた不孝者
 三、親に背いて妻子を捨てた、釈迦は名代の乞食坊主
 四、年は取っても餓え死にゃしても、昔忘れぬ武士気質

 従姉妙子は今妹達を親類に預け、天草で女教員をやっているが、自分のために裁判所に何回も呼出されている。恐らく従姉のことであれば口を箴して白状してないのであろう。そのために免職にでもなったら大変だ。自分は何もかも捨てたから全部正直に白状して一切の疑いを解いてくれといい送る。

 三月二十一日、春季皇霊祭。久し振りに蓄音器を聞く。近頃また背柱が少々痛む。例のカリエスのところだ。カリエス治療用枕の使用を願い出て、夜寝る時に背柱の痛むところの下に敷く。級友よりテーブルの差入れがあった。これは坐って字を書き本を読むのに便利である。佐世保の級友に手紙を出し、自分の海軍時代の一切のものを形見分けの積りで、世話になった級友その他に指名分配を頼んだ。分配しても彼にも某人にもとなると品物が不足するので、什方なく足らざるところは精神籠めて自分の悪筆を送ることにした。その後級友よりはいちいち分配せんでもよい、誰々に形見をやるとかいうようなさような情を離れて大観しろといって来る。なるほど形見分けなんか私情である。これは一本参った。そうだ、一切焼却した方が面倒臭くなくてよいと思って焼却方の返事を出す。東京地方裁判所予審判事の取調べを受け、数日後海軍法務局長の取調べがあり、何れも何の滞ることもなく済む。

 大塩中斎の『洗心洞剳記』『東洋政治哲学』『陽明学精義』等を読む。王陽明は迫害、病苦、波瀾の中に打成した人間であり、真直ぐに一本道を歩いた男ではない。いく度か迷い、いく度か悟り、練りに練った男で、事実上錬磨の言葉が陽明の口より出るのはもっとも至極であり、彼こそ当って砕けた人間である。自分の今日までを考えてみると、決して順調ではない。しかし陽明に比すれば取るに足らぬ。偉人傑士というものは概ねその一生は順調だったものはないようである。もっとも順調に行った者は大概独活の大木的ぼんやり者が多い。これを以て観れば、境遇が人間を生むともいってもよい。山中鹿之助は「吾に七難八苦を授け給え」と神に祈ったというから、何糞といかなる環境にも負けず志すところに勇往すれば、いつの日かは高嶺の月を見るであろう。

 四月七日、悪質の淋病も既に根治し、今朝は一番先に入浴を許された。新しい風呂に入ることは約一年振りである。気持甚だ爽快。昨夜磨っておいた墨で画仙紙に、藤田東湖の「正気の歌」を三十枚書いた。今までの中で一番出来栄えがよい。湯上りの爽快な気持はそのまま書く字に移る。翌九日、有馬中佐の来訪を受け、先にお願いしておいた頭山満翁の書を表装までして持参される。「楽天命以尽忠誠」と草書で雄渾に一気に書いてある。楽天命さすがは頭山翁だ、普通ならば順天命と書くところであろうが楽しむとある。ここに頭山翁の翁らしい深さがあるように思える。

 自分の今の気持は天命を楽しむというところに何んだか近いような気もする。一日一日の獄舎の生活が充実し、一刻も無駄がない。読書をし、習字をやり、実に一日が早い。今後もし動揺するが如きことある時は、この書を眺めて自分を打ちのめそう。看守長にこの軸を房内に入れることを願い出たが不許可という。折角書いてもらい大いに気に入った文句でもあり、毎日頭山翁と一つの室にいたいとさらに願い出て、漸く昼間だけ房内におくことを許され、房内の高い窓の金網に結びつけて床代りにする。先に福村君に西郷南洲翁の肖像画を依頼しておいたが、これは結局不許可になった。頭山翁の軸があるからそれで諦めた。

 一日級友清水寿録君来訪。いつもながら彼は恭謙己を持している。兵学校一年生の時に同じ分隊に起居をともにして、自分が人並の生徒生活より変ったことをやっていたので、それ以来何か自分に関心を抱き、今日は自分に向って導いてくれという。自分としては人を導くことは出来ない、互いに勉強しょうと返事をする。浦部君より来信、彼は道を求めて苦しんでいる心境をたたいて来た。自分は今ポカンとしている。呑気である。生きても死んでもよいと思っているから何も気にならぬ。頭山翁から書いてもらった「楽天命以尽忠誠」と七字を書き、この意味をよく味ったらいかんと返事を出す。

 四月二十六日、今日からまた予審官の取調べが始まる。いよいよ公判前の予審の整備のためである。予審官対被告ということはさらにない。和やかなものである。いつしか雑談になり、島田氏曰く、「明治十年の戦争にもし西郷に代って大久保があの立場にあったらどうしたであろうか」。林「大久保ならば大義名分を説いて極力押えんとしたであろうが、押えることは出来なかったろう。西郷は順逆を通り越して黙々と一切を捨て、ただ乗って行った。政治家大久保と宗教的西郷の相違がある」。そうだなと島田氏がうなづく。

 次弟忠義は朝鮮に就職出来るかもしれぬといって来た。今まで老父の厄介になり、親類からもルンペンしてウルサがられていたが、自立出来るようになってくれればありがたいことであり、朝鮮までの旅費でも送ってやりたいが、そんな金はない。有金全部十円送金する。四月二十九日の天長節には佳節を祝って一円の御馳走を頂こうと願い出ていたが、弟に送金して無一文、馳走はやめたがその意義はなお深くなった。

 四月二十日夜、予審一切完備、公判は八月頃であろうとのこと。島田氏ともこれで当分お別れである。なんだか淋しいような気がする。

 習字の方は大分こって来た。支那日本の書の大家の法帖を手に入れたくなって、王義之、王献之、顔真卿、懐素、蘇東坡、弘法大師等その他手当り次第に買い集めた。法帖だけでも数十冊になる。落款印まで注文した。雅号は天空とする。印は清水君と浦部君に形見分けをせんと先に手紙を出した時に、字を書いてくれとのことであったので、この二人のために字は下手糞であるが格好だけでも整えて送りたい。その中に看守二人がどうしても字を書いてくれと何遍もいうので、仕方なく一生懸命に「鬼手仏心」の扁額を四十枚書いて、その中の二枚を渡す。元来字は下手糞で有名、草書が読めぬために練習した字が、オベッカにも上手と賞めてくれる。自分の字を扁額にするという物好きもいる。外にも二三希望者がある。世の中は広いものである。どこに自分の字によいところがあるのか分らぬ。

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