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5・15事件(一海軍士官の青春) 12

 投稿者:管理人  投稿日:2010年 6月 7日(月)11時01分48秒
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  5・15事件(一海軍士官の青春)  林正義 著

   第2章  獄中生活


      5.大西郷(前)

 翌十二月八日、前日までで入獄以来の嘘を全部吐き出し、今日は一日ガッカリしてポカンとただ雑誌を見て一日を過す。自分はやはり弱い人間である。

 次弟忠義に手紙を出す。故郷が恋しくなったからである。一切を捨てた積りでも、親兄弟は忘れることが出来ない。故郷を思う毎に亡くなった母のことを思い、母の慈愛が身に珍みる。オカーサン、と母の懐に抱かれたい。弱い人間が強い人間の振りをせんでもよい。この振ることが一番悪、ありのままが一番よく、真裸体が一番楽である。

 十二月十九日晴、真白く霜が降りて、冬らしくなった。昨年の今頃は寒いとは思わなかった。今年は寒い。去年も寒さに変りはなかろうが、去年はブルジョアだ。今年は囚人。獄中の夏も暑いあついで過ぎ去って行った。蚊にくわれ眠れなかったことも幾晩かあったが、その蚊も暑い夏も、今は過去のこと、今から思えば何んのこともない。そんなことがあったかなーくらいのことである。この寒い冬もすぎてしまえば暑い夏と同様である。考え来たれば過去は影法師、未来は夢、ただ現在ただ今の一瞬あるのみである。この一瞬をいかに生きるかが問題である。ことは簡単であるが、なかなか一瞬を真に生き通すことは容易でない。自分は常に環境に征服されている。臨済禅師は「随処に主となる。これを無畏の真人」といった。よく境遇の主となるというが、この言葉はあまりに容易に使われている。世にはただ外面のみ見る皮相の見解が多い。しこうして直に宣伝をやり、ワイワイ騒ぎ立てる。その御本尊はと見れば、さほどでもない。この世の中は欺瞞ばかりであり、正体を赤裸々に現わしているものは殆んどないくらいである。多くは醜を覆うに美を以てし、化粧をしている。この化粧の仕方の功拙を以て、その人の能不能を決めているかに見える。世の中には芝居の役者が多過ぎはせぬであろうか。

 次弟忠義より手紙来る。兄の病気はよくなったらしく、朝鮮にいる叔父が忠義離縁問題を持出しているらしい(次弟は叔父の懇望で十一才にて叔父の養子となる)。忠義離縁のために裁判をやると叔父がいい出しているそうである。この間題の根本は金である。この些細な金のために裁判するとは笑止千万だ。財欲のために肉親相争うということは世に往々あることではあるが、何んとも言語に絶する。父と叔父とは兄弟ではないか。弟とは叔父甥の間柄ではないか。それを裁判とは嘆わしい。忠義は叔父の財産は欲しくないという。ただ彼らは馬鹿にされたくないと頑張り、離縁の理由を明かにしたいと言っている。もっともな話でもある。自分はその理由のいかんを問わず、離縁してもらった方がよいと思う。先方の、養子たる次弟に財産を渡したくない意志が明瞭であれば、この際イザコザいわずに先方のいうままに離縁してもらえと返事を出す。財宝は実に調法な大切なものであり、必要なものであるが、財宝に捉われては自己を毒し、破滅に導く。

 自分がテロを肯定したのは生死一如という観点からであり、死に切ったところに真の生ありというところからであったが、いよいよ五月十五日決行となり、陸軍起たずと知り、陸軍起たずば失敗に終る、いかにしても陸軍を起たしたく、一週間の延期を要求(九州の陸軍には内諾を取る)、大庭君を上京せしめて最後まで自分の意見を通さんと決心し、十四日正式上京可能と分り、同君に最後まで延期を強固に主張せよ、しかしながら、万止むを得ざる時は、仲間とともに失敗と知りながらも死なんと決心せしことを、深く考うれば、そこに自分の矛盾を発見した。生死一如より出発しながらいよいよとなって死を決心せしことは、生死一如に非ず、生死二元に対立せることを見出し、その根拠は根本的に嘘である。かく自らを知ってみれば、一体自分は何の根拠に於いてテロ行為を肯定せしやら、甚だ以て疑問であることに気が付いた。ただそこにあるものは力んでいただけのことではないか。ハッタリではないか。根拠薄弱なままに事件前より嘘でかためて闘って来たのだ。今や予審に於いても最後に一切を捨てた。闘争もなくなった。一体自分は何をなして来たのであろうか。わけがわからん。国家革新の大目的は肯定出来るも、自分の国家革新の重点は人間の本質の究明にあった筈だ。今まで事件前より当局と闘い、予審を通じて嘘をいって仲間とともに早く出獄し再挙を計らんとしてあらん限りの力を絞って闘って来たが、一切を投げ出した今日は、今までの闘争が闘争であっただけに空虚感の強きものがある。相手がある間は吾があり、そこに闘争があり、自己の存在もあり、強さも出て来るが、相手を失った今日は、自己の存在さえ不明確になって来た。正に虚脱状態である。生きているか死んでいるか、坐っているのか、立っているのかさえ判然としなくなって来た。正に神経衰弱の極度なものであろうか。

 仕方なくただ坐禅を組む。一日二日と数日を経過した。ある一日、毎日やる坐禅中にスッキリした。一切の今までのモヤモヤが一時に吹き飛んでしまった。眼前が豁然と開けたような気がした。天空海関である。何らの滞るものなし。世の中が一時にパッと開けた。この時程心底から喜びを感じたことは今まではない。兵学校に入校してもの心つき、生だ死だと自分なりに苦しんで来た。道を求めて来た。天だ、仏だ、神だと、生命の本質を探し求めて来た。さようなものがちょうど煙管がつまったように胸につかえていたが、スポッと通った。この時の気持を自分なりに表現すれば、「飯を喰って糞をたれる」ただそれだけである。自分はこの世に生を受けて満二十七年間飯を喰い糞をたれながら、ここに気がつかなかった馬鹿者であった。春になれば花が咲き、秋になれば木葉が散る。柳は縁、花は紅、とはこのことであろう。頭は上にあり足は下である。朝には太陽が東より出、夕には西に沈む。自然そのままである。今までかような言葉は知っていたが、その味が分らなかったのだ。体中が頭のテッペンから足のツマ先まで生き生きして来た。これも監獄に入ったお蔭であり、自分にとって監獄は一大道場であったのだ。今まで悩んだ甲斐があったと、独り手の舞い足の踏むところを知らぬ喜悦を覚えた。

 父から手紙が来た。この手紙は自分の入獄を知ってからの初めてのものであり、見れば非常に落胆している。七十年の生涯はいかに林家を再興するかにあった。オレは十三の時より寺小屋をやめさせられて家事の手伝いをし、横井小楠が(祖父と友人)東京に遊学せしめ手許においてやると祖父を説いたのも祖父は断わり、農具鍛冶兼水飲み百姓で苦労して来た、過去何十年の苦労は水の泡である、しかも一番頼りにしたお前は罪人となった、何の報いるところがあるかと一クサリ愚痴を並べてある。老い先き短き身の安き心だになく、無理からぬことでもあるが、吾が父としては実に情けない。金十円送金する。

 中学校時代の同級生(兵学校は二期上)福村君面会に来る。休暇で今日から帰省するが、何か実家に伝言はないかという。別にない、元気だと伝えてもらいたいと答える。福村君とは(昭和七年上海事件に出征時)佐世保の万松樓で別杯を上げたが、再び相見る時は自分は獄舎の人、死を決して出征した福村君は今日元気一杯の青年士官である。明日のこと測り知るべからざる浮世である。正に有為転変は世のならい。

 昭和七年もいよいよ年末になった。先輩知友に年賀状を書く。「大西郷全集」、「頭山満翁の真面目」を読む。頭山という男は大西郷がいったように命も、金も名誉もいらぬ大山の如くどっしり天下の大道を潤歩している。この翁の大成した根本はいつでも命を投げ出しているところにある。立雲と号していたが、その由来を本人は「フリマラで雲の上に立っているというところだ」と説明している。この雅号の由来が頭山翁そのものである。大石内蔵助を読む。級友、清水君の手紙に、本を読んで見るが一つもビリット来るものはないとあるが、本は文句ばかり読んでも一つも「ビリッ」とするものではない。同じ文句でもその著者のいかんによって生きもし死にもする。自分の体験を通して読めば「ビリッ」とするものがある。英雄のなせし跡を自己の体験及び現在の心境に照して見れば、読書も大いにためになり、吾が糧になる。さもなければ単なる記憶にとどまり、得るところ殆んどなし。

 昭和八年一月一日晴天。癸茜元旦、獄舎の初めての元旦である。それでも雑煮を祝ってくれた。友人から年賀状も来た。元旦日和で正月気分は十分である。日本の国政も今日の如き麗かな日を待っている筈だ。年賀状の返事を出す。三宅俊枝には抱え芸者の年期は明けて自前になったことであろうし、次の歌を送る。

   年は明け子鳥は籠を出でし身と
          思えば楽し初春の空

 級友宮本君がわざわざ呉より上京して横須賀までやって来て面会に来てくれた。友情の切なるものを思う。一人の級友吉富忠治君が胸を悪くして郷里宇部に静養中を官本君が見舞っ
たとのことである。聞けば本人はどっしり構えているということである。もともと純情そのもので、自分とは候補生時代は特に仲がよく頑張り屋の男であった。病気して彼も心境が進んだことであろう。必ずや丈夫になって復職するに相違ない。読了せし数冊の本を送ることにした。

 この頃は毎日手習いと読書であり、大津という看守に聞けば(この看守数年来字の稽古をしている男)、画箋紙に千枚くらい書かねば字の「セン」が出て来ない、「セン」が出て生きて来なければ駄目だという。いろいろの字の講釈を聞き、得るところが多い。一日画箋紙に正気歌を書いたのを見て、これは途中で気が変っていると酷評を下す。その通りである。書いている途中で一寸フラッと気が散ったことを思い出す。自分にとってよき手習いの先生である。本を読んで夢窓国師の詩を見出した。
   青山幾度変黄山
   浮世紛紜総不干
   眠裏有塵三界窄
   心頭無事一狀寛      (※01)

 世俗の変転に拘わるところなければスヤスヤと安眠出来るものである。なるほどその通りである。

 大西郷全集を二回読んで、今回は新らしい西郷南洲を発見した。兵学校以来の西郷は英雄豪傑的偉大さであったが、西郷が晩年官を辞して故山に帰り、自然を友にして過去を顧み、一日所懐を詩に賦して日く、

    雁過南窓晩  魂銷蟋蟀吟
    在獄知天意  居官失道心
    秋声随雨到  鬢影与霜侵
    独会平生事  蕭然酒数斟      (※02)

 この詩を読んでハットを胸を打つ。その反省の強さである。「獄に在っては天意を知り、官に居て道心を失う」この一句である。西郷は明治維新元勲の中でも私心なきを以って一頭地を抜き、誠の人として重きをなしていた。その西郷が「官にあっては道心を失った、野に下って天真を知った」と自分をどこまでも冷く鞭うち、天に対して戦々競々として恐れている。天を敬し、天に反することを極度に怖れるこの真面目さ、この気の小ささ、この臆病さ、しこうして他人が気もつかぬ知りもせぬ自分のボロを天下に公表するその勇気。西郷がいった「天を相手とし人を相手にせず」正にその通りに日常茶飯事を生き抜いている西郷の真価は天に対しての臆病さにあった。蟻のキン玉の如く気の小さい人である。今までは大きい人とばかり思っていたが、今はじめて小さい西郷を発見した。これが西郷だ。これであったればこそあの大事が出来たのだ。「強いばかりが男じゃない」と下世話にいう。真の強さは真の弱きところにある。人間の世界は強いだけでも押し切れる。誤魔化しが効き、嘘が通るからである。弱さを伴わない強さは折れる可能性がある。途端に豪傑は厭になって釆たし、豪傑の足らざることを発見した。同時に西郷が何んだか尊くまた心から親しみを覚えた。南洲翁の字を手本に手習いをしてみたが、似ても似つかぬ字が出来る。偽南洲である。字は自己以上に出ることは出来ない。自分が南洲の心境になり切ってしまえば、字の形こそ違え南洲と同様の字が書けよう。近頃は手習いに趣味を覚える。字そのものより、字に表われた気持ちであり、結局字も人間である。同じ人間でも朝と夕方とは字が違い、風呂に入って気分が清々した時は、何んだか下手糞は下手糞なりに気持よく書ける。

 漢詩作法要義を買って今まで折にふれ作った詩を平灰を整えて見る。
  (未だ闘争を離れ得ざる時のもの)
   人生紛紜黒白評
   毀誉畢竟一風塵
   巍然雲外芙蓉嶺
   天爵清高縄俗唇      (※03)
  (過去の一切のわだかまりがスッキリした後のもの)
一、 人生尊赤血
   百識乱真明
   一剣依天断
   心田開豁清
二、 載断私心独浩然
   行雲流水是真人
   覚知三十年来夢
   大道長安即一身
三、 世塵消去赤泉円 (赤泉円──心は平静デアル)
   一枕一衣任自然
   生死本来非二者
   夕陽落地月昇天      (※04)

 海舟が南洲に相会して江戸城を明け渡しの談判をするに当って、海舟はもし官軍が自分の要求を入れなければ徳川慶喜をフランスの軍艦に逃がし、江戸城を焼き払って一戦交える腹を以て対したが、西郷に会って話している問に西郷の一点曇りなき心境にふれて、この男には自分の腹を見抜かれるばかりと悟って自分の策を捨て、互いに赤心を吐露し合い、大義名分を正して談判を纏めた。この時の両雄対座の呼吸を詩によって見た。

  題南海両雄江戸城開渡之図
    南竜呑却海中劔
    赤血煌々万策空
    大義凛然談笑裡
    同胞劔戟浴皇風

 「木戸松菊伝」を読む。木戸孝允は維新志士時代桂小五郎として長州を率い、映画等にもよく出て来るように、その活躍振りは常人の及ばぎるものがある。しかしながら、孝允とても人間である。大分神経質で、線が大きいという方ではなかったように思われる。石橋を敲いて渡る大久保の現実的堅実さと意志の強さには対立し、大久保と雖も理想家肌の木戸には一目おいていたようであり、木戸の意見には、意見としては反対するものはなく、ただ時の政府の大官は木戸の意見に従わず、大久保の現実性に引かれ、大久保に加担した。そこに情実が些かあったようにも見えるが、何れにしろ理想家木戸と現実家大久保は遂に対立して、木戸は不平を抱いて政府を去り、伊藤、大隈連中は大久保を押し立てて勢力を張った。個人的感情が幾分かは国政に影響を及ぼし、どこかに「私」というものがあったことはいなめない。西郷去り、木戸去って、明治初期の天下は大久保に帰した。いつの世にもある段階を踏むまですなわち同一目標を倒すまでは互いに行をともにするが、その段階を経て後は互いに意見を異にし、かつての同志も遂には袂を分つことになる。権力を得るまでと権力を得て後とに自ら相違があるのは、古今東西の歴史が証明しているがごとく、これは止むを得ぬことのように思われるが、なんとかして同志相食むが如きことのないようにならぬものであろうか。やはり人間の眼のつけどころが違い、人間的練磨の相違によって致し方ないのかもしれぬし、またその人の性格の相違もあるのであろう。




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※01
  青山幾度変黄山   青山幾度(せいざんいくたび)か黄山(こうざん)に変(へん)ず
  浮世紛紜総不干   浮世(ふせい)の紛紜(ふんぷん)総(そう)に干(あず)からず
  眼裏有塵三界窄   眼裏(がんり)に塵(ちり)有(あ)れば三界(さんがい)窄(すぼ)く
  心頭無事一床寛   心頭無事(しんとうぶじ)なれば一床寛(いっしょうひろ)し

※02
雁過南窓晩  魂銷蟋蟀吟
在獄知天意  居官失道心
秋声随雨到  鬢影与霜侵
独会平生事  蕭然酒数斟

雁(がん) 南窓(なんそう)を過(す)ぐる晩(ばん)
魂(こん)は銷(しょう)す 蟋蟀(しつしゅつ)の吟(ぎん)
獄(ごく)に在(あ)りて天(てん)意(い)を知(し)り
官(かん)に居(お)りて道心(どうしん)を失う
秋声(しゅうせい) 雨(あめ)に随(したが)って到(い)り
鬢影(びんえい) 霜(しも)の与(ため)に侵(おか) さる
独(ひと)り会(かい)す 平生(へいぜい)の事(こと)
蕭然(しょうぜん)として 酒(さけ)数々(しばしば)斟(く)む

雁が飛び過ぎて行くのが南の窓から眺められる夜
こおろぎの鳴く声を聞いていると、心が沈みこんでゆく。
かって罪人となって囚われていた時、天が自分に与えたこの世での使命をはっきりと自覚したものだった。
ところが、その後、役人として官位についていた時には、心ならずも良心に背くようなことさえ言わねばならなかった。
一雨ごとに秋が近づいてくる。わたしの鬢も霜降るように白くなってゆく。
今、往時のことをひとり静かに見つめることができるようになって、さびしく酒を酌むばかりだ。


※  -(原文では前編後編の区別はない。このサイトの1回の投稿量に入りきらない為に管理人が前後篇に分けた次第である。-

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