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(無題)

 投稿者:武井佑紀  投稿日:2008年12月 1日(月)00時36分35秒
返信・引用
  ・「当たり前」=「常識」「普通」「とりあえず」
・「洗脳」肯定派が大多数を占めるのかはデータがあるわけじゃないからわからない。
・産業社会に合わない人間を排除するシステムとしての学校って結構正しいものだと思う、私は。生徒個人の成長とかを考えることとは別に、国の教育とか日本に必要な人材を作り上げるとかそういう意味を持っているのは間違いではないと思う。
 
 

(無題)

 投稿者:mika-o  投稿日:2008年11月26日(水)01時19分22秒
返信・引用
  ・「当たり前」って何ですか?
・「洗脳」肯定派が大多数を占めるのでしょうか?
・学校行く意味がわからないから行かない、といって道から外れる非行の存在を、洗脳派は無視しているのでは。産業社会に合わない人間を排除するシステムとしての学校
 

いいんでないの?

 投稿者:武井佑紀  投稿日:2008年11月21日(金)00時48分53秒
返信・引用
  上からの命令で何も考えずに行くのが当たり前だから学校に行く。
それでいいんじゃないでしょうか。

むしろ「なぜ?」と考えさせてしまう方がよくない気が…
それって学校での教育(「洗脳」?)がなってないから考えちゃうわけですよね~。
 

言い訳

 投稿者:mika-o  投稿日:2008年11月20日(木)14時32分7秒
返信・引用
  まぁ、実を言いますと、やりたかったことは「学校の意味」の一義的なものをひとつにまとめるってことではなかったのです。(まとめられるとも思わないです><)
あえて、一つに絞るように指示した理由は3つあります。
①論点を考える際に、「学校の意味について色々上げてください」といったらそりゃ死ぬほどでてくるでしょう。(学習指導要領にも死ぬほどあげてあって、意味がわかりません)
教育にできないこと、ありますか?と聞いたときにみんな黙ったと思います。つまり、できることをあげつらねるときりがない。だってできないことが思い浮かばないくらいだから。たくさんあげると、何がやりたいかみえなくなるんです。あげるだけで満足してしまうというか…。ポジティブリストの発想。あれも欲しい、これも欲しいなぁー…でおわる。
②次に、論点的に言うと、たくさんあげてくださいだと議論が発展しません。意見発表会に終わるのが嫌でした。しかし「一つにしぼる」、というと「違う」と思ったら意見を戦わせなければなりません。意見を戦わせると、色んな視点や相互的な相乗効果がうまれます。それがディスカッションの楽しいところ^^ しかしそう感じさせるに至らないという私のコーディネート不足でしたね…。申し訳ありません。
③最後は、皆さんに「学校の意義」について考えてほしかった。私は義務教育期間、学校を休むな、学校に来い、と言われ続けてきましたが、学校に行く理由を教えてもらったことはありません。何の目的もなく「義務」的に通わされて、何のためにやるのかもわからない勉強をさせられる。無意味に来いと言われたら、そりゃ(資料にもありましたが)生きる力も喪失させられますよ。だって「なぜ学校に行かなきゃいけないの?」という素朴な問いを発することを禁じられているのだから。それますが、学校は産業社会で生き抜く人材を育てる工場だという話を資料にのせました。つまり、上からの命令に文句を言わずに、制度というレールにのって走るような人間形成が学校で行われているんです。
この前の議論のとき「そもそもいくものだったから、考えたことがない」という意見がありました。これも近代の学校の弊害でしょう。こうやって考える幅を狭く、洗脳されているともとれないでしょうか。
 私自身はなぜ?と考え続けました。そこで道からそれると「非行少年」になります。それないと「無気力」になります。つまり、産業社会の構造に見合わない人間は排除される。
 だから、一度学校の意義を、各人が考える学校の意義を人に、自分の子供に、教師になったら自分の生徒に、説明できる人になってほしいな、って思ったのです。

そのため、この前のディスカッションは問いを発し、考えること自体が有意義ではないか、と思ってます。
 

学校の意味

 投稿者:武井佑紀  投稿日:2008年11月17日(月)15時19分48秒
返信・引用
  みかおお疲れ様です。
ジュニア、死の教育について潰す感じになっちゃってごめんなさい。ちょっと自分の意見を圧しすぎました;;;でも議論面白かったです。今度死の教育を議題にしてもいいね!

さて。

私にとっての教育というのはやっぱり「生きる力」を獲得する手助けをすることなんですね。

これ、「ズルい言葉」なんで言えなかったんですが。何でもありなわけですよね、生きる力って。

学校の意味ってのが何なのかはわからないですけど、生徒が卒業するときに知識やら技術やら意見やら目標やら疑問やらその先に繋がるものを持っていてくれれば良いと思っています。
それが学校じゃなきゃ出来ないのかっていうと微妙ですけど。

でも学校って…確かになくてもいいかもしれないけど、なかったら困るし、たぶん学校に代わる何かが出来る気がします。集団行動を学べるようなコミュニティが地域に出来たり、塾ができたり(もうあるけど)、家庭で常識教育がちゃんとできるようになったり、宗教ができたり。そういうのを全部学べる可能性があるのが学校である、つまり、学校は何かの教育を行う一つの道具であって、別に「学校じゃなきゃできないこと」を探す必要はないんじゃないかとちょっと考えがまとまってきました。極論言えば、みーんなが塾に通えて勉強できるなら学校で授業しなくなってもいいんじゃないかってことです(勉強する楽しさみたいなものは考えないとすると)。

ジュニアが言った死の教育をするもよし、廣澤さんが言った本を読めるようにするもよし、みかおが言った学問を学ぶもよし…それは人それぞれ違って良くて、一つにまとめることはできない気がしてならないです。

「何か一つについて議論する」なら色々出たかもしれないけど「一つに決めて議論する」となると私にはちょっと難しかったです。

では、何で教師が必要なのかというと、生徒が自分たちの力で乗り越えられないことの手助けをするためだと思っています。だからこそ多様な生徒に対応するためにたくさんのことを知っていなければいけないわけだけど。

「私は先生から学ぶことなんて何もありません」って結論付けた生徒がもしいるならばそれでも別に構わないと思います。「勉強は塾でやるし」でも別に良い。
でもまぁ、存在してるからには一応教師の存在意義を出来るだけ多くの人に感じてもらいたいわけで…それならそういう教師になるしかないんでしょう。もしくはそういう教師を育成するようにするしかないんでしょう。

屁理屈っちゃーそうだし、ズルいっちゃーそうなんだけど、学校の意味を決めとく必要自体あんのかなぁと思います。
国として学習指導要領を作るとか教員試験があるとかそういうのはあくまでマニュアル化できる範囲の話であって教育の大部分はマニュアル化できないことだから、それぞれの意識に依存するしかないんでないかと思うです。
 

コミュニティスクール

 投稿者:武井佑紀  投稿日:2008年11月15日(土)01時46分26秒
返信・引用
  加藤さん、ありがとうございます!

さて。

コミュニティ・スクール(英 Community School)とは、教育行政が自らの所管の公立学校の運営や改革について手が回らないところを、地域住民に積極的にかかわってもらって運営の一部を任せる形態の学校のことである。日本では、当初、地域学校(ちいきがっこう)というような名称で日本国外の実例が紹介され、現在では地域運営学校(ちいきうんえいがっこう)とも呼ばれる。


ってwikiには書いてありますね~。

文科省のHPにもいろいろ書いてあります。
今ではコミュニティスクールもかなりの数あるようです。

コミュニティスクールってすごい良い案だと思います!(今は、私は、ですが。)
これこそみんなで協力してやっていく教育!!

…でも、コミュニティスクールの運営委員のメンバー構成を見ると「ホントに幅広い意見を聞けてるのかなぁ」なんてちょっと疑問に思うところもあり。

私、まだコミュニティスクールについてよくわからないんで、みかお中心にみなさんいろいろ書いてくださーい☆
 

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